徳川家康の配下で有名な武将に、井伊直政と本多忠勝がいる。
どちらも勇猛な人物であったが、外様の出である井伊は、少しばかり家康の覚えは悪かった。
そのため彼は戦の度に前線に出ては多くの武功を挙げた。
だが最前線とは常に危険が付きまとう。彼の体には無数の戦傷が刻まれていった。
本多もまた名将であったため、戦の度に活躍した。
彼の得物は蜻蛉切りという槍である。
リーチのある武器なので、彼は井伊とは違って怪我を負う事は少なかった。
1602年。井伊はその天寿を全うするのだが、このとき不思議なことが起きた。
全身傷だらけであるはずの彼の体から、一切の戦傷が消えていたのである。
その8年後の1610年には、本多もまたこの世を去ることとなった。そしてこのときもおかしなことが。
今度は今まで戦で手傷を追うことがなかったはずの本多の肉体に、無数の真新しい傷が刻まれていたのである。
実は井伊と本多は昔から仲が悪かったのである。
そしてとうとう生きているうちに井伊は本多を見返す立場にはなれなかった。
そのため、最後の最後にせめてその傷だけでも本多に宿したのではないかと囁かれている。
しかし、晩年の本多は腕力が衰え、自慢の蜻蛉切りを少し短くしている。
これが原因で、後期は生傷も絶えなかったとも言われている。
どちらにしても、逝去した際の井伊の傷の消失の理由は、誰にも説明は出来なかった。
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