服部半蔵と松尾芭蕉は同一人物という説がある。
徳川家康は天下を取るために、忍者の里という、暗殺のために生きる人たちのために作られた集団の里を作った。
そして、その忍者部隊の長が服部半蔵である。
家康が天下をとった後、服部半蔵に褒美をとらせたのだが、その褒美というのが、今でも東京に残っている半蔵門の名前をもらったことと、自由に全国を旅させてもらう許しだった。

それを許可してもらい、その時使っていた偽名が松尾芭蕉だという。

芭蕉は、一日に400km以上移動していたといわれているが、それは常識で考えると普通の人では不可能な距離。しかも、年齢的にも普通では絶対に不可能なのだ。

しかも、当時の日本は、藩をまたぐ時などに通行手形などが必要で、普通の人間が、次々と全国を旅できるわけがない。
そんな中、全国フリーパス的なものを持ってるのは徳川ゆかりの人だけだ。

そんな芭蕉は、俳句などを作りながら旅をしていたと言われているが、本当は旅の行く先々で、「かごめかごめ かごのなかのとりは~」という有名な童謡「かごめ、かごめ」を歌って全国に広めていたのだという。

実は、その「かごめかごめ」は徳川の埋蔵金のありかを知らせる暗号の歌なのだそうだ。

にほんブログ村

オカルト ブログランキングへ

コメント

コメントフォーム
評価する
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • リセット